2015年05月17日

自分とは?ヨガスートラ講義を受けて、湧いてきた事。


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自分とは、アベンジャーズの一員である…っと言いたいが…(^^;;

なぜ、ここにいるの?っといった問いは、2歳か3歳あたりに思ってそこからずっと問いがかかってる。
2歳か3歳あたりって、どうしてわかるのかは2歳から養護施設にいてお昼寝の時間に思った記憶が残ってるから…
3歳からは幼稚園なハズなので、昼寝の時間は幼稚園だから!

人間の記憶は、歪められる事が多いが、一応そうしとく…

大体の方が、記憶に残ってなくても死ぬということがわかり、怖くなったりして泣いてしまったりする時期があるらしい…

そこの記憶はない。

今日は、10時から17時まで、ヨガスートラ講義を受けてた。

ヨガスートラは、ヨガをしてる方なら、いつかは触れるべき教典だ。

直訳の本や解説した本読んだり、サンスクリットから読み解いたり実践したりのワークショップは過去に何度か受けているが、今回もまた違ったワークショップの仕方で面白かった。

サンスクリット読みして、直訳まではするけど、自分ならどう表現してみるかを考えてみたりしてた。
時間かかるもので、6時間で終えられるものではないが(当然、続きのワークショップがある)、一般の方に教える為にはの練習にもなった。

基本的に何事も、準備の整ってない方に説明するほど難しい事は無い。

ヨガをストレッチの様なものとか全く勉強もして無いのに、勝手な認識してる方に、ヨガとはね〜って、言っても全く話にならない(^^;;

馬に念仏状態で、蹴られちゃうがオチ…

そして、興味持ち始めた方に、教えるにしてもその人その人の段階によって言葉を選んでいかないといけない。

当然、教えるスピードは教える側のスピードでは無く、教えられる側に合わせないといけない。

ヨガのアーサナもそう…

腰痛や膝痛、手首や首を痛め、改善の為にいろんな先生に習ったりして改善したり、出来なくなった技をヨガのポーズから導き出して出来るようにしたり自分には成功体験がいっぱいあるが、それが全て合うわけでも無い。

また、目的に合わない時もあり、その時にレッスン受けて嫌になる方もいると思う。

骨盤周りの機能改善をする目的の時に、本人自身はそんなとこより手首痛をどうにかしたいと思って期待してこられたら、当然合わない。

もともとヨガのアーサナは、カラダの機能改善は副産物としてとらえてるのだが、そうやってこられる方はヨガスクールの方ぐらいでは無いのかな…

何も感じ無い事でも、継続する事により気づいてくる事は、あると思うがそうしてる方は少ないと思う。

一つの事に対して深める作業をする方は、かなりのハマりようかもと思ってる。

いっぱいレッスンを受けるのは、好きなだけでジャンキーな状態なのかも!

お菓子をいっぱい食べても、胸焼けしてから後悔するが、
高級料理店では、胸焼けする前に満足感に浸ることができ、また何日か経っても思い出せ、再度幸福感が訪れる。

ジャンキーな方に、お菓子は1日一袋までといってもなかなかセーブでき無い。
そこに食べ終えた時の幸福感は無く、食べてる時の刺激に酔ってるだけ。

アルコールも適量を抑えれない方は、同じ感じになり易い。

いいお酒ほど、ガブ飲みはし無いでしょう。

受け手の受け易い言葉にする力も身につけ無いといけないな〜っと思ったりもした。

昔では、受け手に対して、まだあなたはそのステージに立てていないのだから、学ぶ必要はないと言うだろうが…

もともとヨガは、誰しもが出来る、民間の体操とは違うモノでした。

今は、ヨガでも無いのに体操になんとかヨガと言って広めようとしてるとこも多く、
ヨガについて勝手な思い込みも植え付けられ易い。

わからないのはわからないで良いと思うのだが…

ヨガの最終目標の位置にあるサマーディは、正しい知識で継続することにより達すると、考えられるが継続というのは難しい。

毎日じゃ無くてもと、甘えるとそれはやら無くなる。

できない日があったなら、その分の回数やることが継続するコツだと思って毎日15分瞑想をしている。

歩く瞑想は、カウントしない事としている。

自分の考えや感覚器官の情報、感情を観ている者が、
自分だ!

それに振り回されもするが、
区別出来るようにしてる段階が今の光我がやってる瞑想。

時に違うタイプもする。

幼い時から、感情を時には観てる事もあり振り回されて、泣きわめいたりもあったが、
振り回されてる時の自分が観てるという記憶というものは、あまり残って無いね(^^;;

今残ってる、自分という存在は2、3歳あたりの自分はなぜここにいるのか?っと思っている思いを観てる自分が一番古い記憶なのだろう。

こことは、養護施設の事では無く、ここ…

この世っと言った感じ。

当時、家族とか家とかそういった感覚はわかってない。

最近の人の操作術というのは、感情や考え方の動きを利用した事が多い。

だから、他人が相手を支配しようとする時に、
判断の思考能力を奪い感情の動きに振り回されやすい状態にして、操作しようとする。

どんな時も、自分とは?

他人の評価も自分の評価も、口に出しても断片的な事で、時には当てはまらない。

自分とは自分でしか無い。

今の答えが、こうだが…もっとわかってくるとどうなるか楽しみだ(^^)




posted by kouga at 21:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
三つ子の魂百までデスヨ。

本来なら親の庇護を受けているはずの
小さくて弱い年齢の子が
自分の立ち位置を考えるだなんて
とても可哀想・・・
だけれども、その経験があるからこそ、
現在の光我さんなんですよね。
自分とは自分でしかないという答えは
素敵です。

悲しいことがあったぶん、ウレシイこと楽しいことになって帰ってきたらイイネ
Posted by かぴ at 2015年05月18日 18:15
悲しい事があったって書いてるかな〜?^^;
自分の考え方のフィルターを通して読むとそう思われる方もいるかもですね...

たぶん、その時悲しくて思ったのではないと思ういますよ。

家族とかそういったのがわかってないので!

大多数と違うという事は、もう少し大きくなって、
周りと比較して違うのだと気づいたと思うのでね。

ただ、なぜ”ここ”この世にいるのかと言った問いが生まれただけだと思ういます。
養護施設にいたのが、その当時の認識で自然なことなので!

Posted by 光我 at 2015年05月19日 01:25
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